日付を決められない人たち
例えば、道で久々に古い知人とすれ違ったとする。
お互いに気がつけば一言二言交わして、予定があるならその場はそこで別れるだろう。
もしかしたらお互いに暇でそのまま出かける展開もあるかもしれない。
しかし人が外に出るのは大体何かしらの用事があるときだろうし、なかなかそういう展開にはならない。
しかし大体道ですれ違ったとしても声をかけるのは難しいことが多い。
特に何年も会っていない人であれば人違いかもしれないから、躊躇するだろう。
長くなったが、先日久々にとある後輩からラインが来た。
さっき改札にいましたよね?
いかにもそのとき駅の改札にいた私である。
その旨を返すと
やっぱり。声をかけたのに気づいてもらえなくて。
と返ってきた。申し訳なさが残る。
さて、LINEのやりとりを続けるうちに、共通の友人を交えて久々に会おうという話になったのである。
断る理由もないのでその友人を交えた三者LINEが成立することとなったのが先週のことであった。
ここでも他愛のないやりとりがつづくわけであるが、なぜか私も含めて誰も、肝心の日付を決めようとしないのである。
だいたい近況の雑談をして、3日間くらい誰も書かずにいると、また近況で盛り上がりそして沈黙をする。
別にそれが一回だけではなくたまにあるのである。
もしかしなくても一般的とされる人たちは日付をすぐに決めるということをしないのだろうか?
それとも緊急性のない案件は後回しにされているだけなのか?
よくわからないが、最初に話題が出てから早いもので二週間。
未だに日付は決まっていない
禁酒のススメ
平成最後の大晦日。
読者諸君はどうお過ごしだろうか?
この画面を開いているのは他でもなく、全く書いていないことを思い出したからである。かといって年の瀬らしいことが書けるわけでもない。
というわけで今回は昔話をしようと思う。
私が人生で初めて酒をやめてもいいかなと思ったお話である。
酒好きの諸兄なら行きつけの居酒屋の一つや二つあるだろう。
よくいく居酒屋で一緒になった人に恵さんという方がいた。
と言ってもこれはあだ名のようなもので常連さんはみんなそう呼んでいた。
私は氏の方が年上だったこともありこの呼び方はあまりしなかったが、かといってあの時と同じ呼び方をするのも変なのでこのまま恵さんと書かせていただこう。
恵さんはなかなかの酒好きであった。
仕事が忙しくないときは午前で終わらせて午後はゆっくり酒を飲む。
だから「あそこのラーメン屋は2時から生ビールを出す。つまみはメンマが美味い」とか「あそこの喫茶店は頼めばカクテル(実際はただのレモンハイ)を出してくれる」なんて言う昼飲み情報を良くくれたものだ。
その話を聞いてラーメン屋で酒を飲み、喫茶店でレモンハイを飲んだりと言うことをしたものだが、それはまた別の話。
そういえば初めてお会いした時、恵さんは私と同じく喫煙者だった。
だった。というのは禁煙を始められたからで、ある時からきっぱりと吸わなくなったそうだ。
そういうのも親近感が湧いたひとつなのかもしれない。
最後に話を聞いたときはガストのハッピーアワーが人類を幸せにすると言う文字にするととてもとても下らない話だが、お話の上手い方でとても面白く話をしていたのが今でも思い出せる。
最後に会ってから数ヶ月ほど。
ここ最近お会いしないなと思っていた恵さんと久々にいつもの酒場で再会した。
どうやら会社の部下をツレて飲んでいるところだったようだ。
ツレの方が席を立った時に思わず声をかけた。
最近お会いしませんね。
意外な答えが返ってきた。
酒を飲むのやめたんです。
あの恵さんが酒をやめた。酒のために半休をとっているような人間である。
酒の海を優雅に泳いでいるような、そんな人が酒をやめたと言う。
しかしそれならなぜ酒場にいるのか。手にあるのは確かに恵さんお気に入りの焼酎の水割りである。酒を飲むのをやめるのをやめたのか?驚いた私の反応に気がついたのか、すかさず恵さんは続けた。
いやいや、酒を飲むのをやめたと言っても自宅で飲んだり一人で飲んだりってことでね、誘われたり付き合いで飲むのまではやめてないんです。たまに飲むと美味しいですね。
しかし昼間から酒を飲むのを楽しみにしている方だ。
そんな簡単にやめられるのかと聞いた。
恵さんが言うにはやめられるものなんだそうだ。
毎日タバコを1箱。ビールを2本。それで1,000円。
休肝日やタバコを吸わない日を考えても月に3万はかかる。
これが年間になれば36万円。
会社の定年までとは言わなくても、10年やめれば360万円。
それだけ貯まるはず。そうすれば定年して家族で海外旅行、どこにでも自由に行けるはず。
それを考えれば続けられる。と語ってくれた。
いまは趣味で始めたジョギングが楽しくて、定年してホノルルマラソンを走ると言うのが目標になったという。
最後に恵さんはこう続けた。
酒を飲めなかった時期が人生にはある。
高校大学時代、成人になる前なんて酒は飲まなかったじゃないですか。
でもあの時期なんの不自由もなく生きてたのに、今酒飲まないと、タバコを吸わないと不自由するってのはやっぱりおかしいんですよ。
「昔当たり前だったことが今できないなんてことはないんです。
そう思えば、酒もタバコもすぐやめられますよ。」
一理あるな。その通りかもしれない。
恵さんには目標がある。それが酒やタバコをやめさせる後押しをしているのはあるだろう。
それを差し引いてもこの言葉が深く刺さったのを今でも忘れない。
ふといまそのことを思い出し、来たる新年は。平成じゃない新しい時代は酒をやめるか。
そう思いながら、酎ハイを傾けつつキーボードを走らせている。
男もすなるブログといふもの
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
というのは平安時代の歌人 紀貫之による土佐日記の冒頭の一節である。
誰しも高等教育を受けていれば聞き覚えがあるのではないだろうか。
この時代男が書くものは漢字が主体であり、それをあえてかな文字で書くということをこの一節で表しているとも言われているが、本題はそこではないし専門分野でもないので割愛させていただこう。
日記(現代で言うブログ)を書く理由なんというものはいつの時代も大した理由はないのである。
ここにきてなぜブログを書くのか?
それは周りがやってるのに刺激されただけなのかもしれない。
元来物書きの端くれとして生きてきた性分もあるのかもしれない。
とにかくいま書きたいと思う衝動がキーボードの前に向かわせてるのかもしれない。
思えばホリエモンがライブドア時代にブログを書いたあたりから一般大衆にも広がったブログという文化。
いまやツイッターやらの発達でブログを書く人間は減っているように感じるが、あの時代はみんな流行り物に乗っかりたいというようなものがあったように思う。
僕の中で古き良き思い出となっているブログを新しくやってみよう。
というのがこのブログを書き始めた理由である。
ブログをやるならブログの名前をかんがえなければならない。
そういえば私といえば「酒」だという意見をくれた人間がいる。
「酒の恥を書き捨て」
元ネタとなることわざはお察しいただけるだろう。
旅をするのも好きである。
別に酒を飲んだときの失態を綴ろうというわけでもないが、身の回りのこと、聞いたこと、思ったことを書きたい。
ちょちょっと適当につけたタイトルだが、そのブログ名が指すように酒に関するものも書ければいいとも思っている。
せっかくだから書くときは酒を嗜みながら書くのもいいかもしれない。
誤字脱字があったらそれは酒に酔っていた証拠であろう。